エグゼクティブオンボーディング

【第2話】昨日までの「正解」が、今日からの「呪縛」になる。内部昇格という名の、残酷な脱皮。

2026.03.05

誰もが祝福した「エースの昇格」が、なぜわずか半年で「期待外れの烙印」を押される悲劇へと変わるのか。

「正直、あそこまで何もできない人だとは思わなかった」

※本連載で描かれる葛藤や構造的課題は、さまざまな経営現場で現実に起きている「共通の真実」です。なお、守秘義務に基づき特定の個人や企業についての事例を口外することはありません。本質的な課題を抽出するため、複数の実例を組み合わせて再構成したフィクションです。

昇進直後の高揚感は、どこへ消えたのか。 彼は、誰もが認める圧倒的な「トップ営業部長」でした。現場の苦労を誰よりも理解し、自ら背中を見せて数字を作り、部下たちからも「兄貴分」として慕われていた。社内で圧倒的な成果を出し続け、満を持して「執行役員 事業本部長」へと昇格。次世代を担うサクセッションの筆頭候補として、全社の期待を背負っていました。

しかし、昇格後の彼を待っていたのは、「無言の失望」という名の、あまりに高い壁でした。

象徴的だったのは、月次の役員会議です。 昨日までの「報告者」が、今日は元上司たちと「肩を並べる立場」に座る。物理的な距離とは裏腹に、心理的な乖離は深まるばかりでした。

彼は、まともな発言ができません。 議論が全社戦略に及んでも、口をついて出るのはこれまでの延長線上にある「部分最適」な主張のみ。現場へのマイクロマネジメントという評価も、その失速に拍車をかけました。

現場に口を出し続け、戦略よりオペレーションを優先する。その「視座の低さ」は、他の経営陣の目には、自部署の殻に閉じこもる「サイロ化」の象徴として映りました。内部昇格における最大の罠は、本人が「これまでの延長線上に今の成功がある」と錯覚してしまうことです。

営業部長としての彼の成功パターンは、現場の最前線に立ち、個別の案件も自らの突破力で課題を解決することでした。しかし、その事業本部長に求められていたのは「個別の案件を解決すること」ではなく、「組織全体が勝ち続ける仕組みを作ること」だったのです。

社長の評価は残酷です。
「視座が低い」「視野が狭い」「横断連携ができない」

期待は、急速に失望へと変わる。経営会議の意思決定のテーブルで、ただの観客になってしまったのです。


1. 昇進とは「仕事の種類」が変わること

なぜ、これほどの実力者が失速するのか。ハーバード・ビジネス・スクール、リンダ・ヒル教授の『Being the Boss』が説く「役割の転換(トランジション)」の本質を紐解けば、その理由は明白です。

昇進とは、単なる「現在の仕事の延長」ではない。それは、「個人として成果を出すアイデンティティ」を捨て、「他者を通じて成果を出す存在」へと生まれ変わる、劇的な役割の転換である。

「自分で動いて成果を出す仕事(Doing)」から、「人を通して成果を出す仕事(Leading)」へ。 これは、OSを入れ替えるほどの劇的な変化です。しかし現実には、この前提が誰にも共有されないまま、「今まで通り」を期待してしまう。これが、移行期の致命的な最初のズレです。

2. 「後を託せる人がいない」時代が生んだリーダー不在の正体

彼のように役割が変わることで活躍が阻害されるのは、個人の能力の問題ではありません。私が企業のサクセッションの相談を受ける中で直面するのは、単なる一時的な痛みではなく、過去の戦略が招いた「必然的な弊害」です。

もしもこれまでの抜擢が、ポジションの役割と期待を明確に言語化した「設計」の上で行われていたら、どうなっていたでしょうか。 候補者は新しい役割には「開発すべき領域」があることを前提に、足りない経験を埋めるための自己投資を、もっと早くから始められたはずです。それだけではありません。能力開発すべき領域が定義されていれば、会社側も候補者に対し、あえて異業種のプロジェクトへの参画や、異なる部門への戦略的異動といった「意図的な機会提供」を戦略的に打てたはずなのです。進捗を見ながら軌道修正するためのフィードバックグループを作ることもできました。

さらにパンデミックによる「効率化・スリム化」の断行が、この問題を助長しました。生き残るための必死の努力は、皮肉にも次世代リーダーが試行錯誤する「育成の余白」を奪い去りました。各層でリーダーが決定的に足りないことが露呈し、慌てて「幹部が育っていない」と頭を抱える。いま、多くの組織がこの構造的なジレンマに直面しています。

3. 「成功体験の呪縛」

さて、先ほどの事業本部長の話に戻ります。見かねた社長は苦言を呈します。
「いつまで部長の仕事をしているんだ?」

彼は愕然とします。「現場のためにこれほど動いているのに、なぜ……」と。 ここで起きているのは、「成功体験の呪縛」です。

未知の領域でのストレスに晒された時、人は無意識に「有能感を得られる場所」へ逃避します。過去の成功パターンを再現してしまう。これは、成功イメージを共有する仕組みがない組織が生み出した、悲しいすれ違いだったのです。

4. 関係構築の視点を「下」から「横・上・外」へ

この窮地からの脱出の鍵は、関係性強化のベクトルを劇的に変えることにありました。

「向き合うべき相手は、部下(下)ではない」

視線を「下(現場)」から、「横(他部門の役員陣)」「上(取締役・オーナー)」「外(顧客の経営層や社外のネットワーク)」へと向け、会社の代表としての「打席」に立ち続けること。強化すべきは現場のグリップではなく、この新しいネットワークなのです。

5. 100日設計:役割の「成功定義」を明文化する

内部昇格の失敗を防ぐための第一歩。それは、「役割の成功定義を明文化する」ことです。単なる階段を一段上がることではありません。一度、これまでの自分の成功を「アンラーニング」し、全く異なる生き物へ脱皮するプロセスなのです。

曖昧な「期待」を、解釈の余地がない「設計図」へと昇華させる。最初の100日間で、リーダーはこれまでの自分を壊し、再構築するプロセスに挑まなければなりません。

  • 役割期待の「合意」
    「何を成すべきか」だけでなく、「何を持って成功と見なすか、失敗と見なすのか」を言語化し、交渉し、「期待・期限・資源」をズレなく握り合う。
  • 「アンラーニング」の断行
    新しくやることを決める前に、何を「やめる」かを経営陣と握る。現場に口を出し続けるのを、意識的に辞める儀式です。
  • ネットワークの「再配線」
    関係構築を「横・上・外」へ。現場の火消しを後任に任せ、他部門の役員や社外の知見とつながり、経営者としての「新しいネットワーク」を作る期間です。
  • 判断基準の「OSアップデート」
    現場の最適解ではなく、全社視点での「判断の質」を上げるため、周囲からのフィードバックを糧に、経営リーダーとしての視座を矯正し、新たなリーダーシップスタイルを確立させます。

最後に、私がいつもクライアントと向き合う前に自分への戒めにしている言葉をシェアします。

If all you have is a hammer, Everything looks like a nail.

「ハンマーしか持っていなければ、すべてが釘のように見える」
——アブラハム・ハロルド・マズロー(Abraham Harold Maslow)著書『The Psychology of Science』

限られた手段しか持たない、あるいは、固定概念や過去の成功体験から限られた手段に固執することで、問題の本質を正しく捉えられなくなる。 ハンマーを置き、新しい道具を手に取る。あるいは、それらを持つ仲間とつながる。

今、あなたはハンマーを握りしめてはいないでしょうか。


【今回の問い:経営者であるあなたへ】

内部昇格の失敗を防ぐためには、周囲が「彼は中をよく知っているから大丈夫だ」という思い込みを捨てることから始めなければなりません。

昇格させたリーダーに対し、新しい役割における「成功定義」を明文化できていますか? 彼らの「過去の成功」を「未来の足かせ」にしないために、今、どのような対話が必要でしょうか。もし「今まで通りの活躍」を期待しているのだとしたら、彼が過去の成功体験という名の「罠」にはまるのを、あなた自身が助長しているかもしれません 。

次回予告:【第3話 外部採用の漂流】「お手並み拝見」が、実力者の自走を阻む。なぜ、鳴り物入りで入社したエグゼクティブが、半年で「期待外れ」と言われてしまったのか。

正解のない時代、リーダーの葛藤は深まるばかりです。しかし、その葛藤こそが、次なる成長への確かな兆しでもあります。

人と組織の「意思ある移行」にプロトコルを。